7.オパール
常々、この世で一番起こってほしくない恐ろしいことは祖母の死だと思っていた。2018年4月6日朝、それが起こってしまって、私の世界は変わった。
今年の4月は本当に悪夢のような日々だった。5日までは、とても幸せだったのに。
6日に祖母が急逝して、呆然としながら通夜と葬儀をこなして、なんとか気持ちを落ち着けて社会復帰したら、16日に伯父が亡くなった。
ふたりとも、私が大学に進学して地元を離れるまで一緒に暮らしていた、育ての親的な存在だった。実の親とうまくいっていなかった時間が長かったけど、祖母と伯父が傍にいてくれたから、真っ当な人間に育つことができた。
祖母から一番、愛されていたという自覚がある。亡くなる前日に電話をくれた。もっと、喋っておけばよかった。
伯父は肺気腫と胃癌を患っていて、祖母宅で寝たきりだったから、なんとなく覚悟はしていたけど、祖母は本当に、いまだに信じられないでいる。
亡くなるつい1週間前まで元気で、一緒につくし取りをしたり、91歳の誕生日祝いのカーディガンや月光荘のミニバッグをとても喜んでくれて、デイサービスの花見に来ていくんだと笑っていたから。
まさか、インフルエンザをこじらせてあっというまに逝ってしまうとは、想像していなかった。入院もしたし、あとは回復するだけだと、誰もが思っていたのに。3日後に、姪の入園式があったのに。
4月6日から、3週間が経った。私は生きてはいるけど、仕事人間としては最低だった、死んでいた。
上司にはとても迷惑をかけてしまい、実働日数も少なかったけど、最低限の仕事しかしていない。売り上げは過去最低だし、経営会議の予定も法事で潰した。未来のことはまだ考えたくない、やる気がない。浮上できない。甘えているのかも。情けないと思うけど、気持ちが昂ぶらない。息をするので精一杯。
毎日、祖母の夢を見る。
祖母と伯父をはじめとする親族が、祖母の家にみんな揃っていて、笑っている夢を見る。
毎日、毎日。
朝、目を覚ますたび、現実に心を抉られる。もういない。あの家に、あのふたりはもういない。
米津玄師の「Lemon」、今はつらくて聴けないけど、ほんとにあの歌詞のまま。エンリピしていた時、まさか祖母が居なくなってしまうなんて想像もしていなかった。
毎日、息をして、歩いて、ごはんを食べて、祖母や伯父の写真を眺めながら眠る。夢を見る。起きて泣く。
あんなに仕事が好きだったのに、こんなに仕事人間としてポンコツになるなんてと、自分でもおかしくなる。こんなにダメな人間だったとは。
葬式が終わって、火葬場で骨を拾ったら、次の日からはまた日常を始めなければいけない、つらいけど心を強く持って生きることがカッコいい人間だと思っていたのに、全然できない。いつまでもメソメソしている。
明後日から帰省して、GW連休に入るのが今は怖い。帰省するのに祖母や伯父がいないなんて、生まれて初めての経験だから。もう会えないなんて。
祖母が亡くなった次の日、生前の祖母と約束していたオパールの指輪を貰ってきた。形見にくれると約束していた、大粒のオパール。
私がオパールやマルチカラーが好きなのは、確実にこの祖母の指輪にルーツがある。
一番はじめの記憶は、保育園の頃、祖母が電車移動ありの遠足に来てくれた時、薬指にはめていた指輪を見つけた。大きいね、きれいだねと羨ましがった。大人になって、身につけるアクセサリーはどれもオパールをあしらったもの。
毎日、オパールの指輪を身につけて生きている。大粒だから薬指が重たい。
目に入るたび、どうして私がこの指輪を嵌めているのかな、と不思議に思う。おばあちゃんがいない世界は、生まれてこのかた初めての経験で、怖い。まだ傷口は乾いていなくて、血を流し続けているような、そういう気分。
いつか、慣れる日が来るんだろうか。
FALL OUT BOYの来日公演に行って、音楽の聴こえ方はすこし変わったけど、自然に体は動いてしまうし笑顔になる。一緒に死ぬわけにはいかないし、生きていくためには働かなくてはいけない。そう思えたことはとても良かった。
長生きをして、たくさんの幸せと思い出をくれた、とは言え。
大往生だったじゃないか、と言われても。
伯父の通夜の時、お世話になったお坊さまが、声を詰まらせながら教えてくださった、小林一茶の俳句が共感できすぎてつらい。
”露の世は 露の世ながら さりながら
小林 一茶”
ここまで書いて、読み返してみると、陰鬱で甘えていていやになる。
さりながら。