memo

好きなことだけ語りつくすメモです。

31.新井さん

昨日、3月16日のオープン戦で、カープの新井さんの引退セレモニーが行われました。映像を見て、改めて、新井さんに対して思うことを書き出しておこうと思います。

 

新井さんのスピーチ、素晴らしかったです。実況席で黒田さんも言っていたけど、新井さんらしい、気持ちのこもった、良いスピーチでした。
中でも私の涙腺が決壊したのは、スピーチ最後の言葉。ファンに向けてのメッセージでした。

”たくさん怒らせ、たくさん悲しませたのに、こんなにたくさん応援していただき、ただただ、ありがとうございました。”

 

新井さんの、20年の現役生活。その時間は私にとっても、「自分の意思でカープを応援した」期間そのものでした。

子供の頃はやっぱり、親の影響も強くて、「広島の子供ならカープを応援して当たり前」だったし、「友達のお父さんや、近所の人が活躍しているチーム」だったから、ファンでいるのが当たり前でした。けど、受験生時代、休憩時間の楽しみはカープのニュースを見ることだったし、神戸に進学・就職してからは「カープ=故郷を象徴するもの」になりました。帰省のたびに、家族とカープ観戦に行くのが楽しみだったし、当時はmixi全盛期だったので(懐かしすぎる)カープコミュニティに入ったりもして。そういう時代のカープの象徴が、新井さんでした。
入団した時から、なんというか、「大丈夫かいな…」とファンをハラハラさせる存在だったように思います。山本元監督が4番に起用した時、広島出身の新井さんが4番に!という誇らしさ、嬉しさがある反面、勝つ気がないのかな、育成の年にするのかしら…と思った覚えがあります。いいよ、新井と心中するよ!それで新井が4番として強くなってくれるなら、我慢するよ!みたいな。で、打つともう、泣くほど嬉しくて。地元の星ですからね。
本当にエピソードには事欠かなくて、当時のキャンプレポートでは大体「上手ではない守備」を弄られているし、あまりにエラーを出しすぎて懲罰坊主になっていたこともあったし。笑

 

金本さん、シーツが抜けて行った後、新井さんだけは大丈夫なはずだと信じていたから、新井さんもFAで阪神に行くと知った時は、死にたくなりました。涙が止まらなかった。2007年のFA会見の数日前、会社で残業していた時、居ても立っても居られなくなって、球団にメールを送ったことを、今でもよく覚えています。「お願いだからFAしないでください、あなただけはカープに残ってください、私達にはあなたが必要です」と。生涯カープって言ってたじゃないですかと。
だからFA会見で新井さんが泣いた時、悔しくて情けなくて、この人だけは一生許せないだろうと思いました。可愛さ余って憎さ百倍というやつです。きっとほとんどのカープファンはそう思っていたはず。

神戸在住なので、当時、会う人会う人「ごめんね、新井まで」と言われて。「また4番をくれてありがとうね、カープは本当にうちのファームだよね」なんて言われて。(でも思い返すと、本当の野球ファンからは同情こそされましたが、そんな嫌味は言われなかったかも。軽く野球をかじる程度の人から、よく言われました)
当時、「野次るファンより僕の方がカープを愛している」発言にも本当に腹が立ったし、関西ローカルで金本さんと仲良くしているところを見たりすると、とてもイライラしました。あと選手会長に選出された時も、なんで!?と思ったりもした…。

当時、万年5位と言われていたようなチーム成績だったから、カープファンですと言うと決まって「なんで!?(弱いのに)」と言われ、「広島出身ですから…(仕方ないんですよね)」と返す。そんな染み付いた負け犬根性の根底には、「新井さんが出て行ったからこんな事になったんだ」とずっと思っていたんだと。弱さの象徴が、立て続けに喪われた4番打者だと。その生々しい傷跡になっていたのが、新井さんでした。
阪神時代、徐々に故障が増えたり、成績不振になって…という姿を遠巻きに見るたび、やっぱりねと。出て行くからだよと、意地悪な気持ちを抱いていました。一方で、自由契約になった2014年オフ、パ・リーグに移籍して引退していくんだろうか…と、ちょっとだけ心配な気持ちもありました。

 

だから、2014年晩秋、カープ入団が報じられた時は信じられなかった。なんで!?と。よく帰って来れるなと思ったし、どうして首脳陣が許すのか本当にわからなかった。絶対にブーイングしちゃうだろうと思った。そしてどうせ戻ってきても、代打専門で、数年で引退するだろうとも思いました。「裏切り者」に対する憎しみの気持ちは、全然収まってなかったのです。

 

それが変わったのは2月頃でした。たまたま帰省していた時、テレビでキャンプレポートを見ていて。なんか、新井さんが新人並みに頑張っていると。あれだけのベテランが、全力で練習していると。その姿を見て、私も、私の周囲のカープファンも、心の中で「あれ?」と思っていたのです。皆そうだったんだと思います、口には出せないけど「新井を許してもいいんじゃないか」と思っていたんじゃないか。
だから2015年3月27日の開幕戦、新井の第一打席。ブーイングではなく「アライー!」という歓声が起きた時、私は「やっぱりな」と思って泣きました。皆わかってたし、許したかったし、帰ってきてくれて嬉しかったんだって。

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2015年シーズンは本当に夢みたいで、新井さんと黒田さんが揃ってカープのユニフォームを着ているなんて、と。想像できなかったことが実現していて。
2016年、25年ぶりの優勝の瞬間、黒田さんと抱き合った時の表情は本当に忘れられない。2016年4月に発行されたタウン誌の付録で「俺たちの25番が25年を取り戻す」というコピーがついた新井さんのポスターがあって、私はそれを自室に貼っていました。そのコピーが本当になる予感がして。25番が、25年振りの優勝へ導いてくれる。

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カープは本当に強くなりました。中心になったのはタナキクマル誠也だったけど、黒田さんと新井さんがチームビルディングに徹してくれたからだし、チームをひとつにしてくれたから。
あと、新井さんの「野間いじり」のエピソードが本当に好きで。野間は入団当初から応援している選手ですが、ポテンシャルは凄い物を持っているのに、いまいち活かしきれないもどかしさがあるなとずっと思っていました。新井さんはそれが「消極的になりがちな性格所以」と見抜いて、積極的にいじり倒したとのこと。2018年シーズンの野間の積極的な打撃、走塁はそのおかげって言うんですから、もう、素敵すぎる。

www.nikkansports.com

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このエピソード、ほんと好き。

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菊池と新井さんもいいコンビでした。菊池が新井さんのことを「お兄ちゃん」って言い始めて、てらいなく「家族みたい」ってみんな言い始めたように思います。一層連帯感が強まって、みんなで日本一とるぞ!って声高に言うようになって。
カープって昔から、あまり口には出さないタイプの選手が多かったし、万年5位だった頃は「優勝を目指す」なんてとても言える雰囲気じゃなかった。でも「優勝するぞ」って言う事で、言霊というのか、「本当にやれるかもしれない」「俺たちならできる」「だって強いんだから!」と、実力と自信が調和してきたように思うのです。(その兆しは、琢朗さんやマエケンからだと思っている)
チームの空気を明るくしてくれて、気持ちを強くしてくれたのは、紛れもなく、新井さんの心と人徳によるものだと思います。


心、技、体が強い、真のアスリート。2019年は同じカープファンとして、(もしかしたら菊池が最後の年になるかもしれない)シーズンを一緒に応援したいし、今度こそ日本一になるところを見守りたい。
そうしたら、次のシーズンは、いよいよコーチかな。2020年の東京五輪で、何らかのスタッフとして関われるのもいいかもしれないですけど。これからの活躍も、心から楽しみにしています。


本当にありがとうございました、新井さん。あなたはカープの魂です。

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